少林寺拳法の道場は、親にとっての保育所がわりだったのかも!?
“女子レーサーの祭典”レディースオールスターで優勝するなどして、人気ボートレーサーとなっている中村桃佳選手。その原点がどこにあるかといえば、3歳で始めた少林寺拳法だ。
「両親に近所の道場に連れて行かれて始めたんですが、その頃のことは覚えてないんです。あとから聞くと、道場の偉い人にオシメを換えてもらったりしていたそうなので、保育所がわりのようなものだったのかもしれないですね。
物心がついた頃には1位を取るのが当たり前のようになっていて、そこまでの記憶もないんですよ」
聞けば、「他のスポーツもだいたい普通以上にはできていたけど、飛び抜けていたわけではなかった」とのこと。なんだかんだいっても3歳から始めていたことでのアドバンテージがあったのかもしれない。
「正直言って、少林寺は常にやめたいと思ってたんです。大会で競うのは型なんですが、稽古の組手とかは痛かったし、人間、厳しいことからは逃げ出したくなるじゃないですか? どうしてやめなかったかといえば、やめさせてくれなかったから(笑)。稽古では先生の孫にあたる女の子とペアを組んでたんですけど、わたしがやめるとその子の相手がいなくなるということで、無理やり続けさせられていたんです。……本当にそれだけでした」
結果的に高校を卒業するまで少林寺は続けて、香川県大会で1位、四国大会で2位という成績を残した。とはいえ、少林寺が“仕事”になるとは最初から考えていなかった。「手に職をつけたい」ということから高校卒業後には准看護師学校に入学している。実習の多い学校だったので、すぐに現場にも出ていたそうだ。
「病院にはおじいちゃんおばあちゃんも多くて、人のお世話をするのはけっこう好きかも、という感じでした。正看の学校に行く道も考えていたし、そのまま看護師になっていた可能性は大いにあったと思います」
イヤイヤでも少林寺を続けていてよかった
こうした状況からの“転身”だった。父親がボートレースのファンで、ボートレース丸亀が家から近かったこともあり、幼い頃からレース場は遊び場のようになっていた。父親がレースを観ているあいだにお兄さん(1年半早くボートレーサーになった中村晃朋選手)と一緒にアスレチックなどの遊戯施設で遊んでいたそうだ。それでも、父親からボートレーサーになるように勧められていたこともあり、少しずつレースも観るようになっていき、「格好いいな」と憧れるようになっていた。
「レーサーになりたいという気持ちはあったんですけど、学科試験が受からないだろうし(笑)、目も悪いから無理だろうと考えて、看護師の道に進むことにしたんです。でも、兄が養成所に受かったことで、“お兄ちゃんがなれるなら、わたしもなれるはずだ!”って本気で考えるようになったんです。目の手術も受けました」
少林寺の実績があったことでスポーツ推薦を受けられたので、一次試験を免除されたのもよかった。
「そうなんです。それがなかったら受からなかったかもしれないので、少林寺をやめさせてくれなかったことに感謝ですね(笑)。イヤイヤだったけど、続けていてよかったです」
「迷っているなら、一回、チャレンジしてみましょうよ!」
少林寺から准看護師学校、そしてボートレーサーへ。いまは「経験のすべてがムダではなかった」と思えている。
「少林寺では忍耐とブレない心みたいなものが学べたんだと思います。それがなかったら、レーサーになってすぐ、厳しいのに耐えられずにやめてたかもしれないですからね。准看護学校で学んだことは……、ケガをしたら自分で消毒できたり、とかかな(笑)。でも、人と接する機会が多くなって人見知りではなくなり、いろんな世代の人とコミュニケーションを取れるようになった気はするので、それは役立っているかもしれないですね」
ブレイクするきっかけにもなったレディースオールスター優勝にしても、それまでのキャリアが役立ったという。
「あのときは初日の試運転中に転覆して、その段階で“終わったな……”となりかけていたんです。体は痛いし、首も回らないような感じだったので、帰ろうかな、と思ってたんです。でも、ここで帰ったら……みたいに葛藤しながら残って優勝できました。帰らなくてよかったですね。少林寺で忍耐力がついていたおかげです」
“ボートレーサーになってよかった!” いまは心からそう思っている。
「レーサーになることをあきらめてしまい、兄がレーサーとしてやっているのを見ている側になっていたなら“自分も受けてみればよかった”って絶対思ってたはずなんです。だからチャレンジしてよかったと思います」
最後に、進路に迷っている人たちへのメッセージもお願いした。
「先をどうしようかと悩んでいるんだったら、“一回、チャレンジしてみましょうよ”って伝えたいですね。悩んでいても時間しか過ぎていかないですから。わたしは21歳でレーサーになりましたけど、レーサーになるなら早いほうがよかったはずなんです。……ただ、結果的にわたしは遠回りしましたけど、“それまでやってきたことがあるから、いまのわたしがいるんじゃないかな”と思います。経験という意味で、いい遠回りになっていたんですね」