

ボートレースに出会えたのは10点だったけど……
白百合女子大学卒業ということもあり、デビュー当時から“お嬢様レーサー”として話題になっていたのが富樫麗加選手だ。本人にはお嬢様という感覚はないそうで、人生の中でもっともうれしかったのは、ボートレーサーになれたことだという。
「ボートレーサーには(過去に)すごい実績を残してきた人たちもいるのに、わたしにはスポーツ経験もあまりなく、何かに秀でているといったことはいっさいなかったと思います。それなのに入学試験に一発で合格できて、ボートレーサー養成所を無事卒業してレーサーになれたことが人生でいちばんうれしかったことですね」

人生で最もつらかったのはいつだったかといえば、それもやはりボートレースとの出会いに関わる。
「大学に入学した4月にボートレースに出会って、その瞬間、“ついにやりたいことを見つけられた!!”と思ったんです。すぐに大学を辞めて試験を受けたいと思いましたが……、父親から“大学を辞めるなんてあり得ない!”と猛反対されました。ボートレースとの出会いは10点だったのに、その瞬間がマイナス10点。少なくとも大学は卒業するようにと言われていました。でも、その当時はボートレーサー養成所の受験資格が20歳未満でした。その後に30歳未満に改定されたことで、卒業してからでもレーサーを目指せるようになったんですが、改訂前は勝手に応募してしまおうかとも迷っていました。

“本当のお嬢様”を知っているけど私は違う
小学生時代からずっと楽しく過ごしてきたというが、高校3年生のときは「受験が大変」だったため点数が落ちる。看護師になりたいという夢もあったなかで、まったく道が異なる文学部フランス文学科に入った。
「正直いえば、大学はいつ退学してもいいという気持ちもありました。授業はフランス語で行われるため、勉強しなければ何を言っているのかもわからなくて……。勉強は苦痛だったんですが、ほぼ週7日くらいでバイトをしていて、その時間はすごく楽しめました。スタジアムでのビールの売り子をしたほか、飲食店やコンビニで働くなど、いろいろな経験ができたんです」
卒業と同時にボートレーサー養成所に入れたときは最高の瞬間だった。ただし、養成所の1年は「あまり思い出したくない時間」だという。
「厳しいのはわかっていましたが、体力がなくてついていけず、ボートに乗るのも下手だったんです。卒業できるかどうかが危ぶまれた時期もあり、その頃はつらかったですね」

そして迎えたデビュー戦。
「デビューできたのは嬉しかったですけど、めちゃくちゃ緊張していたというのが大きくて、あまり覚えていないんですね。とりあえずゴールできたということで5点くらいかな」
この頃から“お嬢様レーサー”としてメディアに取り上げられることが多かった。
「中学や高校の友達には本当のお嬢様も多かったので、私は全然違うって抵抗はありました。でも、それで名前を覚えてもらえるならいいかなと思えるようにはなっていきました。そうなるまでには2、3年かかりました」
“あ、結婚しちゃった”も人生の中では10点!
レーサーとしての出来事で強く印象に残っているのはやはり初1着と初優勝だ。
「初1着はデビューから7か月くらいです。シリーズ最終日で、私の最終戦。大晦日でもあり、めちゃくちゃ嬉しかったですね。それまで3着とかもほとんどなかったので、自分でもビックリしました。その後、優勝戦にはなかなか乗れずにいましたが、デビュー4年後の初優出がそのまま初優勝になったんです。ただ、その時期、事故が多かったこともあり、B2になってしまい、そこはマイナス10点。ちょうどクルマを買ったあとだったのにレースに出られない期間が長くて、お金がない!って困ってました(笑)」


ボートレーサーになってから人生チャートの点数が大きく落ちるのはそこだけだ。2021年にはまた人生の転機を迎えた。同期の今泉友吾選手と結婚したのだ。
「養成所では、変わった人だなって思ってました。なんか、いつも服が破れていて(笑)。訓練中だけかと思っていたら、私服もぼろぼろなんです。練習で一緒になることもあり、ご飯とかにも行くようになっていきました。付き合おうとか言われたことがないので、いつから付き合いだしたかはわからない感じでしたね。プロポーズは一応してもらいました。コロナの時期だったので結婚式はしなかったのですが、やりたい願望はなかったので、べつにいいかと思っていました。入籍とかでもあまり感動しないタイプなので、“あ、結婚しちゃった”って感じでしたね。でも30歳を過ぎていたこともあり、嬉しかったですよ。そこも10点です」
2023年には出産も経験して、母親になっている。産休からカムバックしたのが2024年の4月だ。

「自分が子どもを産んだ実感はなかったけど、ずっと子供は欲しかったので、長男が生まれてきてくれたことは10点です。レースに戻れたのは7点として、出産後、16キロくらい太ってしまっていた時期はマイナス5点。体質なのか、筋肉が脂肪になってしまっていたので、減量とトレーニングで戻しました」
今年はスピードクイーンメモリアルでGⅠレース初1着の水神祭も果たしている。今後はA1に昇級してビッグレースの出場機会を増やしていくことが目標だ。「事故なくレースを続けられたらいいですね。体が動くうちはレーサーでいたいと思います」。そう言う富樫選手の場合、ボートレーサーとして活躍していられる限り、“人生ずっと10点”でいられるのかもしれない。ボートレーサーになるために生まれてきたような“お嬢様”だ。

富樫麗加(とがし・れいか 1989年11月8日生)
登録番号4758 身長163cm 112期 東京支部所属 東京都出身
2013年5月のデビュー。白百合女子大学卒業ということでも話題になった。デビュー年12月31日に初1着。2017年5月に初優出初優勝! 2021年にレディースチャンピオンでGⅠ初出場。2025年2月のスピードクイーンメモリアルでGⅠ初1着を果たしている。B2に落ちていた時期に村田修次選手に師匠になってもらったことも、ボートレーサーとしての重要な転機であり10点! ボートレーサーになることを反対していた父親は、デビュー当時から応援してくれているとのことだ。