これが、ワタシの歩む道。彼女たちの「これまで」と「これから」に迫る。 ワタシの人生チャート 魚谷香織選手

魚谷香織選手の人生チャート

この世界では「1点からのスタートでした」

さまざまなメディアに登場して人気を博していたなか、2010年に結婚。3度の出産を経験しながら復帰するたびA級で活躍している。精神的な浮き沈みも少なくなかったというこれまでを振り返ってもらった――。

「ボートレーサーを目指す前はハンドボール一筋でしたが、楽しい中高生時代を過ごせたと思っています。高校時代にテレビでレディースチャンピオンの表彰式を見ていたら、優勝した岩崎芳美さんが『副賞の航空券で、新婚旅行にいってきます!』と決められていたのが格好良すぎて、ボートレーサーを目指すようになったんです。実際にボートレーサーになれたときは嬉しかったのですが、技術的にもまだまだだったので、先輩たちはみんなプロなのに自分だけがアマチュアのような気がしながらデビュー戦を迎えたのを覚えています。マイナスではないですけど、1点からのスタートでしたね(笑)」

デビュー当時の写真

デビュー後数年はとにかく練習に明け暮れた。初1着はデビュー翌月と早かったが、初優勝を飾ることができたのはデビュー3年後だった。

「初1着は、取れると思っていなかったところで取れて、自分でもビックリしたという気持ちが強かったですが、初優勝は違いました。自分なりに積み重ねてきたものがあって、少しずつ自信もついてきて、優勝したいという思いが出てきたなかで優勝できたので、すごく嬉しかったですね」

初優勝の思い出を笑顔で語ってくれた

SGの舞台で1着を取ることがすごく遠くに感じていた

成績が上がっていくなか、テレビ出演や各種メディアの取材などで引っ張りだこになっていった。

「正直いうと、当時はとにかく忙しくて、精神的には落ち着かなかった。でも、“私が取り上げられることでボートレースを知ってもらえる”ということで頑張れていた気がします。私は岩崎さんに夢をもらったので、今度は自分がこんなに夢を持てる職業があるんだということを伝えることで、ボートレーサーを目指す女の子が出てきてくれたらいいな、と思っていたんです」

2010年にはボートレースオールスターでSG初出場も果たし、さらに意識を変えることにつながった。

「出られて光栄だなって気持ちは強かったのですが、力のなさを思い知らされることにもなりました。出場している皆さんが1節ずっと動き回って仕事をしているのを見て、もっとやらなきゃダメだということも痛感しました。男女が戦えることもボートレースの魅力ですが、そのいちばん上の舞台で1着を取ることがすごく遠くに感じられたんです」

SG初出場をした際の写真

SG初1着の水神祭を目指して努力を続け、出場4節目となる11年オールスターで目標は果たした。その過程で青木幸太郎選手と結婚して山口支部から福岡支部へ移籍。11年9月からは産休に入ることになった。

「旦那さんはすごく素敵な人なので、結婚できてよかったと思っています。出会いと結婚には10点を付けてもいいと思います。この人が相手でなかったら、ここまで歩んでこられなかったとも感じていますから」

青木幸太郎選手と一緒に写っている写真

自分はボートに向いてるし、すごく好きなんだ!

産休に入るタイミングがレーサー人生に与えた影響も大きかった。

「産休に入った翌年から年末のクイーンズクライマックスが行われることが決まっていました。第1回大会には行きたかったので、まずそこを目指して、その後に子供ができたらいいなと思っていたんです。でも、それより早く子供を授かったので、絶対に復帰しようと決めて産休に入りました。横西奏恵さん(現在は引退している女子レーサーの第一人者)から『一人は子供を産んで復帰したほうがいいよ。周りの世界が変わって見えるから』と言ってもらい、その景色を見てみたいという気持ちもありました。子供が生まれたときは10点ですね。こんなにかわいいんだなって思ったし、自分の中で大事なものの順番が変わったんです」

産休後に復帰してレーサー仲間や弟子にお祝いされる魚谷選手
お子さんたちとプライベートを楽しむ魚谷選手

復帰後、大きな転機となったのが2015年だった。この年末のクイーンズクライマックスは福岡開催だったこともあり、どうしても出たいという気持ちが強く、自分を追い込みすぎたのだ。

「思い出すだけで涙が出そうになるくらいキツかったので、マイナス9点です。できるだけ多くのレースに出るようにしていたので、子供といられる時間が減ってしまい、気が滅入っていった気がします。産休に入るまではボートレース中心でしたけど、子供が生まれたときから変わっていたんですね。なのに、自分ではそれに気づかないふりをして走っていた気がします。ただ、ここで苦しんだことから仕事と家族と心のバランスを取りながらやっていこうと考えるようになり、自分を変えられました。この経験があってよかったと思っています」

第二子、第三子の出産もありながら、以前ほどの浮き沈みはなく、やってこられた。そうしたなかにあり2023年には再び転機が訪れた。ご主人との共同経営で店をオープンすることになったのだ。

「アルバイトの経験もないままボートレーサーになっていたので、他のことをやってみたい気持ちもあったんです。オープンの時期は主人とも相談して決めたんですが、結果的にはタイミングが良くなかったのかもしれません。ボートと子育てとお店のバランスをどう取ればいいかがわからなくなって、いちどメンタルがすごく落ちたんです。でも、レースをしているうちに“自分はボートに向いているし、すごく好きなんだ!”ということに改めて気づけました。“すべてのことをもっとやれるはずだ”という根拠のない自信を持てるようにもなりました。これからは若いレーサーたちがどんどん活躍していけばいいと思っていますが、頑張っている子たちに対して何かを伝えていける先輩になっていきたい。それが今、自分が頑張れている理由になっています。もちろん自分でもタイトルを獲りたい! 今は8月に福岡で開催されるレディースチャンピオンを目標にしています。そこで優勝できたらまた10点になれるはずだと思っています」

力強く目標について話す魚谷選手

インタビューの様子をダイジェスト動画でご紹介。ぜひ、ご覧ください!

魚谷香織(うおたに・かおり 1985年4月26日生)

登録番号4347 身長154cm 96期 福岡支部所属 山口県出身
2005年5月のデビュー。2008年8月にびわこで初優勝。2008年3月、津レディースチャンピオンでGⅠ初出場。2010年5月、浜名湖ボートレースオールスターでSG初出場。これまでSGは6節出場している。以前からテレビ出演は多かったが、2023年にはNHK『サラメシ』にも出演。食事に対する考え方など、プロ意識の高さがドキュメンタリーで紹介された。