大学受験までの1年間がいちばんきつかった
美人姉妹レーサーとしても注目されている西岡成美選手。デビュー当初は“現役大学生レーサー”ということでも話題になったが、そこに至るまでには紆余曲折があったようだ――。
「初めてボートレーサー養成所の試験を受けたのは高3のときだったんです。姉(西岡育未選手)もレーサーを目指しており、父親に勧められたことが受験理由でした。その時点では、まだ自分の意志は固まっていなく、結果は不合格でした。仮に合格していれば入所していたと思うのですが、当時は大学に行きたい気持ちもあったので、落ち込むことはなかったですね。ただ、大学受験までの1年間は人生の中でもいちばんきつかった(笑)。毎日、朝から晩まで必死で勉強していたし、ちょっと息抜きしようと思っても、全然気を抜けずにいたんです。人生チャートでいうなら、大学に合格したことで、どん底からグッと上がった感じでした」
大学時代は教員免許の取得を考えながらも、ボートレーサー養成所の試験は受け続けたという西岡選手。
「デビューした姉の姿を間近で見ていたのが大きかったですね。自分が頑張れば、それだけのものが返ってくるのがいいな、と思ったんです。大学3年にあがったときの受験で合格したのですが(通算5度目)、これで落ちたら教職を目指すことを決めるか、就職活動を本格化しなければならないので、最後の受験にしようと決めていました。気持ちの問題もそうですが、しっかりと対策も考えて、臨んだことで合格できたんだと思います」
ボートレーサーと大学生の二刀流はつらくなかった
ボートレーサー養成所に入所する際、大学は退学ではなく休学することにした。大学受験で頑張った1年間と、大学で過ごした2年半をムダにはしたくなかったからだ。先生と相談して必ず復学するという約束もした。
「大学のことを考えずに過ごした養成所の1年は、すごく充実してました。最初のうちは全員がライバルだという意識が強くてギスギスしていたんですが、しばらくすると、みんなまとまって、いい意味で切磋琢磨しながらやれるようになったんです」
無事に修了してデビューできることが決まると、すぐに復学した。“二刀流”の始まりである。
「生活自体は全然つらくありませんでした。レースがないときにもできるだけ練習には行くようにしていましたが、開催の関係で練習ができないときは大学に行き、家で卒論を書くことで卒業できました。すごく理解がある先生がいてくれたおかげです」
ボートレースで初めて1着を取るまでには1年2か月かかった。2020年の2月22日に初1着を取り、3月に大学を卒業したのだから、吉報が続いた。
「卒業も嬉しかったですけど、やっぱり初1着のほうが嬉しかったですね。同期の上田紗奈ちゃんが目の前で初1着を取って、そのあとにわたしも同じ4号艇のレースになったので、理由もなく“自分もここで取るんだ!”と思っていたんです。レース前に何パターンか展開を予想していたら、実際にそのうちのひとつとまったく同じ展開になって、落ち着いてレースができました。何かに導かれていた気がします(笑)」
過去は変えられなくても過去の価値は変えられる
デビュー後は事故も多く、成績は伸び悩んだ。それでもつらいと感じたことはなかったという。
「勝てないからつらいというのは違うと思ってたんです。最初は勝てなくて当たり前だし、勝てなければ自分が努力するしかないですよね。ただ……。3年以内にA級になることを目標としていたんですが、3年目の期の最後の1走で4着ならA2になれるというところで6着で終わったんです。レース内容自体も悪かったので、未練は残らなかったのですが、最後のレースが勝負駆けになるのは実力が足りないからだと思いました。そのシリーズの帰りに、3年間ひとりでやってきて目標を達成できなかったんだから、環境を変えるしかないな、と考えたんです。それで以前からお世話になっていた菅(章哉)さんに師匠になってもらおうと、お願いすることにしました」
菅選手は個性的なまくり屋として知られるが、同じ方向を目指すつもりだったわけではない。レースへの向き合い方など学べるところを学びたいと考えていた。このタイミングで菅選手に弟子入りしたことは「絶対に正解だった」と実感できている。この後、A2に昇級して、初優勝も決められた。
「成長している点ですか? う~ん、菅さんからはいろいろ教えてもらっていますが、メンタル的にも強くなって、一喜一憂しなくなったかもしれません。わたしはけっこう本とかも読むほうなので、そこからも学べている気はします。『過去は変えられなくても過去の価値は変えられる』という言葉が好きなんです。どれだけ失敗を重ねていても、次に生かせられたら、価値があがる。そういう考え方ができるようになってきました」
思ったような成績が取れないときには「もうちょっと、頑張れよ!」と自分を鼓舞している。「ボートに乗ることが大好き」で、努力を続ける日々は楽しい。ボートレーサーになっていなかった自分はもはや想像もできないそうだ。
「姉妹レーサーとして注目されるのもありがたいですね。姉がいなかったらレーサーにはなっていなかっただろうし、同じシリーズに出るときは刺激になります。今後は、 まずA1を目指して、いつかはSGにも出たいです。ずっとA1級でいるレーサーたちは6コースからでも当たり前のように3着までに絡んできますよね。自分もそういうレーサーになりたいです」
……悩んだことや失敗を糧にステップアップしていける西岡成美選手。ボートレーサーとしての歩みの中で10点満点をつけられる日も遠くないはずだ。