これが、ワタシの歩む道。彼女たちの「これまで」と「これから」に迫る。 ワタシの人生チャート 土屋南選手

土屋南選手の人生チャート

自分自身の人生なので、やるかやらないかは自分次第

人気も実力も上昇中だった2020年に先輩レーサーの佐藤翼選手と結婚。その後、1年以上の産休を取ったが、2021年に復帰すると、ブランクを感じさせない強さを発揮した!起伏の多いレーサー人生を歩んでいるが、その始まりは父親からかなり強引にボートレーサーになるように勧められたことにあったのだという。

高校時代の土屋選手。

「高校時代の部活がとにかくしんどかったこともあって、スポーツはもういいと思っていたのに、突然、父親からボートレーサー養成所の願書を渡されたんです。父親はわたしがボートレーサーに向いていると思っていたようで、最初は泣きながら断ったのですが(笑)、父のことは尊敬していたし、他にやりたいこともなかったので、受験することにしました。養成所に入る前にレース場に観に行って“あっ、格好いい!”と思ったので、そこで希望も持てましたね」

今では、ボートレーサーの道を勧めてくれた父に感謝しているという土屋選手。

ボートレーサー養成所に入所した段階ではしっかりと切り替えられていて、やる気メラメラの状態で「修了記念競走で一番になりたい」という大きな目標も持っていた。

「自分自身の人生なので、やるかやらないかは自分次第、という感じでした。修了記念競走に優出はできたけど、結局優勝まではできなくて、でもめちゃくちゃ頑張ったという気持ちはありました」

「人気に実力が伴ってない」という声を跳ね返したかった

養成所時代の成績は優秀で、修了記念競走では優勝戦に乗って2着に入った。だが、プロの世界はあまくない。この世界では珍しいことではないが、初めて1着をとるまでには約7か月かかった。

「当時は先輩方の強さに圧倒されていました。でも、岡山支部のレーサーはみんな切磋琢磨して頑張っているので、環境には恵まれているなと思っていました。オフにみんなで遊んだりすることも含めて楽しかったですね。初1着を取ったことはすごく嬉しかったので、鮮明に覚えています。そのときに初めて予選も突破できたんです。ただ、準優勝戦はめちゃくちゃ悔しい結果だったので、1節のあいだに気持ちは上がって落ちました(笑)」

デビューまもない土屋選手。

2018年にはGⅡレディースオールスターに初出場。「人気に実力が伴ってない」という声も聞こえてきたので、そんな声を跳ね返すためにも頑張ろうとしたが、結果は厳しいものだった。その後もコツコツと努力を続け、成績は徐々に上がっていったものの、自分の中では「歯がゆい感じ」が続いていたという。それでも土屋選手の人生チャートはそこから上向きになっていった。2019年には佐藤選手との交際がスタートし、この時期は成績も上昇!2020年前期に初めてA級(A2)に昇級し、7月には初優勝も果たしたのだ。

「村岡賢人さんに師匠になってもらったあと、(師匠と同期の佐藤選手から)レース場で“村岡の弟子なんでしょ”と声をかけられたんですよね。その後、3人でゴルフに行ったりしているうちに仲良くなりましたが、最初は恋愛感情なんて全然!向こうはA1で貫録があるし、いかつい感じで怖そうだな(笑)、くらいに思っていました。その後、わたしの成績は上がっていったし、結婚まではピューって、人生チャートが上がっていった感じでしたね(笑)」

夫である佐藤選手について「子育てもすごく協力してくれるのでとってもいいパパだと思いますね」と話してくれた。

成績の良し悪しはプライベートに持ち込まない

結婚後まもなく産休に入った土屋選手。

「あの時期は年末のPGIクイーンズクライマックス(女子賞金ランキング上位12名が出場するビッグレース)に向けていい位置にいたので、正直、う~んとなったところはありました。もちろん、子供ができた幸せを大切にしよう!とは思っていたんですけど、しばらくはレースを見たくなくなりましたね。クイーンズクライマックスが終わったことでやっと切り替えられて、そこから産休ライフを楽しめました。出産は5月で、このときは幸せ度も最高潮でしたね。復帰は11月でしたが、子供はかわいいし、久しぶりにボートに乗るのは不安だし、なんならまだ戻らなくていいかな(笑)、みたいな気持ちもありました。でも、PGIレディースチャンピオンやPGIヤングダービーの出場を目指したかったので、早めに復帰することにしたんです」

「(復帰してからは)一瞬一瞬の成長を見逃したくないので、より子供との時間を大切にするようになりましたね」と話す土屋選手。

復帰前はやはり不安も大きかったというが、復帰したレースではいきなり優勝戦に乗ることもできた。その2節後に優勝を飾るなど絶好調で、次の期にはA1に初昇級できた。

「あの頃は勢いがすごかったですよね。でも、2度目の優勝ができたあとに体調を崩して、そのあとはレースでの不調が続いてボロボロになっていったんです。メンタルも弱っていて、ボートレースから離れたいくらいの感じになっていました。めちゃくちゃ反省もしました。今もまだ流れは良くないですけど、あまり流れに逆らおうとしないで、事故に気をつけながらできることをコツコツやっていこうと思っています」

復帰後に3度目の優勝を決めた土屋選手。

幸せな時期もあれば、つらい時期もある。その双方を経験しながら、土屋選手は成長を続けている。

「昔から、ボートの成績次第で気持ちがかなり変わりがちでした。でも、それをプライベートに持ち込んでも良いことは何もないし、マイナスにしかならないじゃないですか。そういうのは意味がないなって気づいて、だいぶコントロールできるようになってきましたね。ダメだからといって、へこんでいってしまう自分が怖いところもあります。先が見えなくならないように、常に希望を持てているように頑張っていたいですね」

将来的なイメージについてを聞くと、土屋選手はこう答えてくれた。

「今、岡山支部の先輩たちのことは、すごいな、すごいな!って見ているんですけど、いつかは“あの子とは一緒に走りたくないな”と思われるくらい強いレーサーになりたいですね。あとは、妹がデビュー(土屋選手の妹=土屋蘭選手が2023年5月にデビュー)したので、いつか一緒に優勝戦に乗れるようになったら嬉しいし、ゆくゆくはPGIクイーンズクライマックスで会えたら最高ですね」

インタビューの様子をダイジェスト動画でご紹介。ぜひ、ご覧ください!

土屋 南(つちや・みなみ 1997年1月26日生)

登録番号4964 身長162cm 119期 岡山県出身 岡山支部所属
高校時代はハンドボール部で活躍し、3年連続インターハイにも出場。父親の勧めでボートレースの道に進み、2016年11月にデビュー。2020年7月に住之江で初優勝を決めた。