マイナス思考をなくす言葉
2024年のボートレースオールスター優勝戦が刻一刻と迫る中、1号艇に乗る定松勇樹選手はプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。師匠である峰竜太選手はそれに気づいたのかもしれない。励ますようにこう言ってくれたという。「たとえ負けても、財産になるレースをすればいい」――。この言葉で気持ちがほぐれると、定松選手は見事に逃げ切った。“21世紀生まれのレーサーとして初めてのSGウィナー”になったのだ。
「優勝戦を待っている時間っていうのは、やっぱりソワソワするんです。レースまでの時間が果てしなく長く感じられていました。ここで負けたら、一生、SGを勝てないんじゃないか、みたいなことまで考えていたときに竜太さんがそう言ってくれたんです。それでプレッシャーから解放されたといいますか。この緊張を経験していることが今後のプラスになると思えてきて、不思議なほど前向きになれました」
峰竜太選手にかけてもらった言葉は、その後も心の支えになっている。
「それまではレース前に負けたときのことを考えてしまうこともあったんですが、そういうマイナス思考をなくす、めっちゃいい言葉です。人間なので、失敗することはありますけど、失敗は繰り返さなければいい。成長につなげられたならいいという気持ちになることができました。ボートレースは”メンタル競技”だと思っているので、大きな意味がありました」
師匠が泣いてくれているのを見て涙がこらえられなくなった
定松選手は小学校4年生のとき、テレビでグランプリを見てボートレーサーを目指すようになった。その後、ボートレースを見ていくなかで峰選手が放つオーラに圧倒されて、憧れを強くした。峰選手のレースは欠かさず見るようになり、自分が選手になったときには弟子にしてもらう以外は考えられなくなっていた。その想いもあり、出身は福岡県だが佐賀支部に入り、本人に気持ちを伝えたのだという。
「その頃の竜太さんは、もう弟子は取らなくなっていたそうで、弟子の弟子になるかたちでグループに入れてもらうのが普通になっていたのに、自分の熱意が伝えられたんだと思います。『よっしゃ!最後の弟子にするから、頑張れ』と、直弟子にしていただきました」
仕事でもプライベートでも一緒の時間は増えていったが、間近で見る“峰竜太”は、ファンの目に映っているキャラクターとまったく変わるところがなかった。
「あのままですね(笑)。とにかく明るいし、オンとオフをはっきりと分けられています。練習に行けるときは行って、練習が終われば遊ぶ。あるいはその逆も。切り替え方がすごいんです。一緒にサーフィンをしたあとに練習に行って、ミスをしてすごく叱られたこともありました。タイミング的には怒りにくいところもある気がしますが、遊んだあとだからこそ厳しく叱ってくれたのかもしれません。でも、褒めてくれるときには、めちゃくちゃ褒めてくれるんです。僕は褒められて伸びるタイプなんで(笑)、もっと認めてもらいたいということから頑張れているとも思います」
ボートレースオールスターで優勝したあと、峰選手は泣きながら定松選手を抱きしめた。それで緊張の糸が切れたのか、定松選手も大泣きしていた。
「それまで、悔しくて泣くことはあっても、嬉し泣きをしたことはありませんでした。でも、あのときは竜太さんが自分のために泣いているのを見てこみ上げてくるものがありました。あの1日は長かったし、精神的にもキツかったので、余計にこらえられなくなったんです」
父はきっと天国で見ていてくれる……
定松選手にとって、もうひとり大きな存在は父親だ。「ボートレーサーになりたい」という気持ちを伝えたあとからずっと応援してくれていて、レース場に連れて行ってくれることもあったという。
「小学校の頃から陸上などのスポーツを続けていましたが、『やるからにはちゃんとやれ!』とはいつも言われていました。僕がダメなことをしたときなんかはめっちゃ怖かったけど、部活が終われば遊びに連れて行ってくれることもあったし、そういうメリハリの部分では竜太さんとつながるところもあった気がします」
その父親は、ボートレーサー養成所の合格通知が届いてまもなく、病気で他界している。
「『レーサーになるからには、SGを獲るレーサーにならないといかん』とも言われていたので、SGを獲ったところを見せたかったですね。お墓参りに行ったときなども、いつも天国で見てくれているかな、と思っています」
2024年は、ボートレースの“頂上決戦”であるグランプリにも出場する。
「自分にできる限りのことをやりたいと思っています。それでダメだったとしたなら、足りないところを見つけて、また同じ舞台に立てるように、その経験を財産にしたい。竜太さんと走ることになったら、勝って、ギャフンと言わせたいですね(笑)。グランプリは最大の目標なので、奇跡でもいいから優勝したいです」
登録番号5121身長168cm
125期
福岡県出身
佐賀支部所属
2019年11月のデビュー。2020年6月に初1着。2022年9月に下関ルーキーシリーズで初優勝。SGは2023年の芦屋オールスターが初出場。SGとしては3節目になる2024年5月の多摩川オールスターでSG初優出初優勝!登録5000番台としては初のSGウィナーとなった。23歳0カ月でのSG優勝は史上4番目の年少記録だ。