初志貫徹 馬場貴也

最初からあまり期待の目で見られていなかったんです

2022年10月、実力日本一決定戦とも呼ばれる伝統ある一戦、ボートレースダービーを制したのが馬場貴也選手だ。それ以前にもSGでは2度優勝していたものの、順風満帆なレーサー人生を送ってこられたわけではなかった。大切にしている言葉は「初志貫徹」だというが、そこにはどんな想いが込められているのだろうか?

ボートレーサーを目指しているときにこの言葉に出合ったんです。当時は自分で決めた道なんだからしっかりやり抜こうということで、大事にしていきたいと思いました。レーサーになれたときには、ボートレースの頂であるグランプリを獲るという目標を立てたので、その気持ちをなくさないでいようと考えました」

もともとボートレーサーを目指したのは、募集広告を見たという母から話を聞いて、「自分がお金を稼ぐことで両親にラクをさせてあげたい」と思ったからだそうだ。まったく未知の競技だったボートレースはすぐに好きになったが、エリート街道を歩めたわけではなかった。

「僕たち93期の前後の養成期には素質のあるレーサーが多かったということもあり、僕らはあまり期待の目で見られていなかったんです。だから、デビューした当時から人一倍、努力しないといけないと思っていました」

馬場貴也選手

「このまま終わってしまうのかな……」とも思った

やれる限りのことをやっていくという姿勢が実り、SGにも出場できるようになったが、そんな中で痛恨のミスを犯してしまった。不注意による整備規程違反だ。「心の焦りが出たのかもしれません」と本人は振り返る。この違反のため、1か月の出場停止処分となり、SGには1年間、出られなくなっている。

「このときはかなり落ち込みました。もうSGには戻れずこのまま終わってしまうのかな……と、くじけそうにもなりました。でも、ここでもやっぱり初志貫徹という言葉を思い出せたので、デビュー当時の気持ちを忘れずにやり直していこうという気持ちになれたんです」

驚かされるのは、この翌年に馬場選手はSGに復帰できただけでなく、SG初優勝を果たしてしまったことだ。

「原点に戻って自分の行動を見つめ直していたことも関係していたのか、この年、滋賀支部の支部長に選んでもらったんです。自分に務まるかは不安だったんですが、絶対にプラスになるはずだと考えることにしました。この年には、兄弟子にあたる守田俊介さんがダービーで2度目の優勝を飾るところを目の前で見ることもできました。ピットの裏では感動して泣いてしまいました。その帰りに守田さんから『あきらめず、くさらず頑張っていればお前にもチャンスは必ずくるはずやから』と言ってもらって、気持ちを強くできたんですが……、その翌月、僕はチャレンジカップを勝ててしまった(=SG初優勝)。守田さんからは『早すぎるやろ!』と笑われました」

馬場貴也選手

メンタルは必ず強くできる!

馬場選手は、引退した後明俊夫さんを師匠にしている。後明さんを師と仰ぐレーサーは「石間徹さん(引退)-守田選手-馬場選手-是澤孝宏選手」と連なる。ボートレースの世界では、新人レーサーが特定の先輩に付いて必要なことを学んでいく慣習があるので、馬場選手もまた、高山智至選手、木村仁紀選手、澤田尚也選手を弟子にしている。

「高山や木村とはそんなに年が離れていないので弟子という感覚は薄かったんですが、澤田には最初から、かなりしっかりと教えていきました。ボートの操縦技術から始まって、技術面で教えることがなくなってきてからはメンタル面のほうです。精神的に打たれ弱いところがあったので、『つらい経験も絶対にあとに生きてくるから』というような話をしました。澤田もずいぶん気持ちを切り替えるのがうまくなってきたように思います」

メンタルは必ず強くできる、と馬場選手は言う。

「僕自身、若い頃はどちらかというと気持ちが弱かったと思います。最初に考えたことをやり抜くのはきついんですが、最後は自分を信じるしかないんだと思います。自分はやれるんだと言い聞かせて頑張る力に変えていくというのかな。僕の場合にしても、整備規程違反という経験があったうえでSGを勝てたことで自分に自信を持てたのが大きかったと感じています」

師弟関係は、制度ではなく伝統的な慣習のようなものだが、“無償の絆”の中で、自分が教えられたこと、学んだことを次の世代へと伝えていくベースになっている。ダービーを優勝した直後、馬場選手は「守田さんが獲っているタイトルなので、いつかは自分も獲りたいと思っていたんです」とも口にした。

「僕にとって守田さんの存在は大きいですね。守田さんが初めてダービーを勝ったあとも、身近な存在がSGウィナーになったことで憧れが膨らみ、刺激になりました。自分も守田さんと同じダービージャケットを着たいというのはずっとありましたから。今度は、これまで滋賀支部に持ち帰られたことがない黄金のヘルメットを自分が持ち帰りたいと思っています」

黄金のヘルメットをかぶるのが許されるのはグランプリの優勝者だけだ。もし、そのヘルメットをかぶることができたとしても……、決して初心は忘れない。「どこかで驕りが出たりすれば成績も落ちていくはずなので、絶対にそういう態度は出さないようにもしたいんです」とも言っている。いつまでも挑戦者である気持ちを失わない。それが馬場選手の初志貫徹だ。

馬場貴也(ばばよしや 1984年3月26日生)

登録番号4262身長168cm
93期
京都府出身 
滋賀支部所属
2003年のデビュー。2012年には日本レコードを記録して「最速レーサー」として話題になった。SGは、2018年チャレンジカップ(芦屋)、2019年グランプリシリーズ(住之江)、2022年ボートレースダービー(常滑)で優勝している。

馬場貴也選手
馬場貴也選手