努める者は報われる 日高逸子

「下手すぎてこの仕事に向いてないんじゃないか」
と思っていた

“グレートマザー”の異名をとり、長年、女子レーサーのトップとして活躍してきたのが日高逸子選手だ。しかし2020年には一期(半年)のうちにフライングを3本切るF3となり、合計180日間の出場辞退(F休み)となった。休み前は最上級のA1レーサーだったが、復帰後は出走回数不足で最下級のB2に降格。“還暦を前にしての出直し”となりながら、2022年、見事にA1復帰を果たした。そんな日高選手が大切にしているのは、日本人女性初の五輪メダリストである人見絹枝さんの「努める者は報われる」という言葉だ。これまでの人生において、何度となく努力による逆転を果たしてきた日高選手には、いかにもマッチする。

「デビューして10年くらい経った頃だと思うんですけど、テレビで人見絹枝さんのドキュメントをやっているのを見て、そこで紹介されていたこの言葉がグッときたんです。デビュー当時の私は“下手すぎてこの仕事に向いてないんじゃないか”と思っていたくらいで、人より努力するしかなかった。ずっとそれでやっていたからこそ共感できたんです」

日高選手はとにかく時間を惜しんで練習を続けた。家に友達が泊りに来ていても、友達をおいて練習に出かけたこともあるというから徹底している。その結果として、女子レーサーがSGレースに出られることがまだ少なかった時代からSG常連になるほどのレーサーになっている。

「SGに行っても頼る人がいないという感じで孤独だったんですけどね。宿舎の夕飯なんかもひとりでポツンと食べたりしていました。でもボートレースは、自分がやったことの答えがすぐに結果として出るのもいいところです。逆にプロペラ調整を失敗してゴンロク(5着6着が続く成績)になっても6日間で1節が終わるし、すぐ次のシリーズに失敗を生かせられる。オリンピックは4年に一度しか本番がないけど、わたしたちは1ヵ月に3度とかシリーズがあるわけだから。レーサー仲間でもよく“オリンピックの選手ってかわいそうよね”って話しているんです(笑)」

日高逸子選手

「日高さんは引退すると思っていました」と
言われたこともあった

スタート時のフライングは“勝負”に行ったときに起きやすい事故であり、罰則は重い。一度のフライングで30日間のF休み。一期のうちに2本目を切るとF2としてさらに60日、3本目を切るとF3としてさらに90日のF休みが追加される。F3では合計180日間、レースに出られなくなってしまうのだ。そのためフライングを切ったあとは無理なスタートは控えるようにするレーサーも多い。

「F3を切ったのは無理をしなくてもいいレースだったんですけど、私は1号艇で、2号艇の人が勝負にきたので、まくられたくない!と思って一緒に行ったらフライングになってしまったんです。その頃、西島義則さんの“F2で勝負を降りるくらいならレースに行くな”という言葉も頭にあったんですが、西島さんと私ではスタート勘も違うし、終わったあとにバカだなってチョー反省しました(笑)」

最初のフライング分のF休みはすでに消化していたので、この後は150日間、レースに出られなくなった。ベテランのレーサーはこうしたタイミングで引退を考えるケースも少なくないのだが……。

引退は全然考えなかったです。後輩の男の子から“日高さん、引退すると思っていました”と言われたこともあったんですけど、フライングを理由に辞めたくはなかった。休み中は毎日、午前中に家を出てホットヨガに行って、ジムなどに移って夕方帰るような生活を送っていました。選手会の手伝いとかもしてたけど、コロナによる規制でボートに乗る練習はあまりできなかったので、休み明けのレースは怖かったですね」

日高逸子選手

今が不幸なら、その先には幸せな人生が待っている!

復帰後、うまくボートが操れなかったレースのあとに引退が頭をよぎったこともあったが、そういうときには次のレースで1着を取れていた。そのため「やっぱりまだ続けられるな」と考えられた。また、2021年の夏には体調が落ちていたことから子宮筋腫とわかり、摘出手術を受けているが……。

「悪性だったら辞めるしかないなと思ってたんですけど、良性だったんです。これは“まだ、やれ”ってことなのかなって、すぐにトレーニングを再開しました。患部を取っちゃったら盲腸とかいっしょで、体に悪いところはないですからね。じっとしていられないんです。今は若いときほどSGに出たいというような気持ちは強くなくなったので、この先は元気に長く走れたらいいですね。これまでは苦しみながら走ってきたので、ここからは楽しみながら走りたいです

子供の頃に両親が離婚して祖父母に育てられていたことから始まり、その人生はまさに七転八起だ。逆転につぐ逆転の連続になっている。

「子供の頃にしても、こんなに不幸なんだから、大人になったら幸せな人生が待ってるはずだと思っていたんです。悪いことのあとにはいいことがある。人生はその繰り返しだと思ってるんです。私は何度もどん底を味わったけど、今はハッピーです。今が苦しいと感じている若い人は、何もしないで落ち込んでいるのではなく、自分なりに努力してほしい。いちばん下にいるなら、そこから先は上がっていくだけです。挫折しないで頑張っていれば、必ず報われると思います

日高逸子(ひだかいつこ 1961年10月7日生)

登録番号3188身長154cm
56期
宮崎県出身
福岡支部所属
1985年のデビュー。1991年にデビュー6年でSG初出場。以来、多くのSGに出走してきたトップレーサーだ。GⅠは05年の大村レディースチャンピオン、14年の住之江クイーンズクライマックスで優勝。60歳となっていた2022年3月には女子レーサーとしての最年長優勝を果たした(自身の記録の更新)。

日高逸子選手
日高逸子選手