果報は寝て待て 守田俊介

大事なのは平常心。チャンスが訪れてもいつもと同じように!

デビュー当時から“天才レーサー”と言われながらも、最高峰のSGタイトルには長く手が届かなかった。しかし40歳となった2015年にSGボートレースダービーを優勝。そのうえ2018年にもう一度、ダービーを制してみせたのが守田俊介選手だ。大切にしている言葉は「果報は寝て待て」だというが、その真意は果たして……。

焦らずチャンスがくるのを待つのがいい、という意味かなと解釈して、この言葉を口にするようになったんです。僕はピットでプロペラとかの調整をやっている時間が短いんで、“お前、仕事せえへんな”と言われることも多いんやけど(笑)。気になることがあってもやらずにいるわけではなく、自分なりに手際良くやっているつもりなんですよ。控室で本当にぐっすり眠っているわけやない(笑)。できることは悔いのないようにやってるし、ひとからどう見られても自分のペースを崩さない。そういう意味でも自分に合った言葉やなと思うようになったんです」

40歳にして初めてSGを優勝したことも、そうした姿勢が生きたものといえるのだろうか。

「SG優勝は遠い夢というか目標としてありましたけど、なかなか結果を出せていなかったので、自分がSGを獲る日がくるとは思ってなかったし、焦りもなかったんです。マイペースで頑張っていたなかでチャンスがめぐってきて、しっかりそれをモノにすることができたということですね。SGにしろ一般戦にしろ、優勝するためには、モーター抽選から始まり、あそこがこうだったからよかったというようないろんな分岐点があるものなんです。僕の優勝は奇跡だったと思っていますが、大事なのは平常心ですね。ほんまにドキドキしたけど、“いつもと変わらず同じことをやれば勝てる”と思って、それで結果を残せたんです。焦ってフライングを切ったりせず、ミスをしないで済みました。あの優勝では“果報は寝て待て”を地で行けたかな、という感じです」

守田俊介選手

優勝賞金3,500万円(※)は全額寄付

最初にダービーを優勝したあと、守田選手は優勝賞金全額の3,500万円(※)を東日本大震災の被災地に寄付している。ボートファンに限らず、多くのひとを驚かせたニュースだった。

「震災を目にしたときのショックが大きくて……。自分がSGを獲れると思っていなかったこともあるけど、もし獲れたときに全額寄付すれば、一生に一回、ひと様の役に立てるやないかなって。アバウトな感覚やったけど、当時からおかあちゃんなんかにはそうするように話してたんです。それで実際に優勝したあと、友達やファンから“おめでとう”“感動しました”ってメッセージをいっぱいもらったことで、この優勝はみんなの力があってできたものやし、この賞金は自分だけのものではないなと思ったんで、寄付することを決めました」

そうはいっても3,500万円という大金だ。額をどうするかといった部分で迷いはなかったのだろうか?

「それはいろいろ迷いましたよ(笑)。500万にしようかとか1,000万にしようかとか。でも僕がそういう額で寄付をしたら次にSGを優勝した人も(同じくらいの額を寄付すべきかと)悩ませてしまいそうで、迷惑かけるんじゃないかと思ったんです。最初から全額寄付すると言ってたんだし、全額にしました」

※ 第62回ボートレースダービー(浜名湖)を優勝した2015年、優勝賞金は3,500万円。
現在、ボートレースダービーの優勝賞金は4,200万円。

守田俊介選手

馬場貴也選手や遠藤エミ選手をSG優勝に導いたものは……

守田選手に続けとばかりに馬場貴也選手や遠藤エミ選手がSG優勝を果たすなど、滋賀支部は近年の躍進ぶりがすさまじい。それについてはどう見ているのだろうか。

エグい支部になったなと思いますね(笑)。20年前くらいは弱小支部でSGを優勝するレーサーが出るなんて思えなかった。そんな中にあり、ユウスケ(後輩の中村有裕選手/当時26歳)がSGを優勝したんですよね。あれが2006年ですか。あのときは、花火が打ち上げられる中、ユウスケがウイニングランするのを見てました。僕は30歳で、焦りや嫉妬につながるかとも思ったけど、実際は“ありがとう!”という感謝の気持ちしかなかったんです。自分も優勝してユウスケと同じ景色を見てみたいと思ったんですね。それがあったから頑張れたんだし、少なくとも馬場には、僕にとってのユウスケがそうだったように自分の優勝が刺激になったんじゃないかと思います」

2022年3月の遠藤エミ選手のボートレースクラシック優勝はどうだろうか?

女子でSGを優勝する人が出るとは正直思ってなかったんですけど、僕にチャンスがくることがあるんやからエミにもくることはあるやろうな、という感じでした。そのチャンスをしっかり生かしよったな、と。それができたのも、これまでいろんな失敗も重ねてきたことで心が強くなったからじゃないかなと思います。5年前にエミにこのチャンスが巡ってきていたとしても獲れてなかったかもしれないなという感じはありますね」

「果報は寝て待て」というと、積極性が足りないように聞こえなくもないが、焦らず、失敗に打ちのめされず、“機が熟すのを待つ”という姿勢につながっているようだ。

蛇足になるが、守田選手の代名詞である「ガリ(甘酢しょうが)好き」についても聞いてみた。

ガリはもともと好きじゃなかったんですよ。デビューしてすぐの頃にガリを見て、リンゴのスライスと間違えて食べようとして、ウエッて吐き出したことがあるくらいだったんです(笑)。でも、回転寿司で、緑茶を飲んで、ガリをいっぱい食べてると、お寿司を食べる量も減らせるし、減量にいいかなと思うようになったんです。いつのまにか回転寿司に行けばガリの箱をカラにしてしまうくらいのおかしなガリ好きになってしまいました」

守田俊介(もりたしゅんすけ 1975年8月12日生)

登録番号3721身長171cm
74期
京都府出身
滋賀支部所属
1994年のデビュー。取材段階でGⅠ4優勝(GⅠ初優勝は2003年、びわこ近畿地区選)、SG2優勝(SG初優勝は2015年、浜名湖ボートレースダービー)。ニックネームは「きもりやん」。ブログやツイッターも人気!

守田俊介選手
守田俊介選手